昭和の時代、12月に入ると話題の映画がクリスマスやお正月に向けて公開されていました。雑誌やテレビなどでも大きく取り上げられ観たい映画あると公開前に前売りチケットを購入しワクワクしながら映画館に行ったものです。その盛り上がりといったら今の若い方たちには想像もできないものだと思います。
私の青春時代(かなりおじさん的な表現)はスピルバーグの映画の全盛期。その中で最もヒットした映画が『E.T.』です。当時街中の電柱やバス停などにも公開予定のポスターが貼られていました。その『E.T.』のポスターには宇宙の背景画に子供と宇宙人のものと思われる手が人差し指を突き合わせていて宇宙人の指先が光っている!というもので、その画像からは「これはいったい何をしているの?」と「宇宙人が侵略を…」とインターネットですぐに情報が手に入る現代では感じられないワクワク感がポスターや予告CMにありました。
今回はそんな懐かしい昭和の時代を振り返る…のではなく『E.T.』が日本に与えた影響という私のつぶやきを綴っていきます。
E.T.が教えてくれたアメリカの生活
『E.T.』のストーリーは今までに無いSF映画で子供だった私にはとても衝撃的なものでした。この記事ではストーリーについてはもちろん触れませんが、ストーリー以外に衝撃を受けたのはアメリカの日常生活です。
そんな衝撃を受けたものを紹介していきます。
①宅配ピザ
若者数人が友人宅に集まって遊んでいるシーン。そこに『ピザ』が家に届くというもの。田舎に住んでる私にはその薄っぺらい食べ物が何のか?もわからず、出前といったら『ラーメン』『そば』『すし』くらいしか知らなかったので衝撃を受けました。
②ハロウィン
子供たちが当時日本でも流行っていたアメリカのロックバンド『KISS』のメンバーのように顔を白く塗って変装してる日がありました。家の中にも、かぼちゃに目や口をくり抜いて顔にした飾り物があり、母親までも変装している。『ハロウィン』というワードが出てきたとは思いますが当時の日本にはほぼ伝わっていなかったのではないでしょうか。見ていた私は「ここの町のお祭りなのかな?」という認識でした。
日本で急に『ハロウィン』の話題が出始めたころに、「あ、E.T.でやってたやつ!」とオレは知ってるよと物知りぶっちゃいました。
③パーカー
このころ小学6年生だった私の普段着はジャージ上下に中はトレーナーというスタイルでした。『E.T.』に出てくる少年たちは帽子付きで前にはファスナー(当時はチャックって言ってた)がついたトレーナーのようなものを着ていました。今ではカジュアルファッションの定番ですね。
まとめ
『E.T.』の日本での公開は1982年12月4日(土)。この日を記念して『E.T.の日』となっています。このような記念日ができてることからも当時の大フィーバー(これも表現が古い)がわかるかと思います。『宅配ピザ』『ハロウィン』『パーカー』これらが日本に定着したのも『E.T.』が日本に与えたもののような気がします。